それは、私が生まれて初めて、一人暮らしを始めた、最初の冬のことでした。古い木造アパートの二階。都会の喧騒から離れた、静かな環境は気に入っていましたが、その建物の古さが、後に、私に厳しい試練を与えることになるとは、夢にも思っていませんでした。その日は、数年に一度と言われる、強烈な寒波が、日本列島を襲っていました。夜、ニュースでは、「水道管の凍結に注意してください」と、アナウンサーが何度も繰り返していましたが、南国育ちで、凍結など経験したことのなかった私は、「まあ、東京だし、大丈夫だろう」と、高を括っていたのです。水を少し出しっぱなしにしておくと良い、という知恵も、水道代がもったいない、という、浅はかな考えで、実行しませんでした。そして、翌朝。顔を洗おうと、洗面所の蛇口をひねった瞬間、私は、異変に気づきました。水が、一滴も出てこないのです。キッチンも、風呂場も、トイレさえも、完全に沈黙していました。ライフラインが、完全に断たれた。その事実が、私の頭を真っ白にしました。パニックになりながらも、私は、インターネットで見た知識を思い出し、やかんでお湯を沸かし、屋外の、むき出しになっていた水道管に、それをかけ始めました。しかし、焦るばかりで、タオルを巻くという、基本的な手順さえも、忘れていました。数分後、私が聞いたのは、水の流れる音ではなく、「ピシッ」という、金属が割れるような、乾いた、そして不吉な音でした。そして、その亀裂から、水が、勢いよく噴き出してきたのです。私は、慌てて水道の元栓を閉め、震える手で、管理会社に電話をかけました。その後の、修理業者の手配や、高額な修理費用の請求、そして、水が使えない不便な数日間は、私の心に、深い後悔と、忘れられない教訓を刻み込みました。あの時、ほんの少しだけ、自然の力を侮らず、先人の知恵に耳を傾けていれば。あの、チョロチョロと流れるはずだった、わずかな水道水は、私の平穏な日常を守るための、何よりも価値のある、お守りだったのだと、今なら、そう思います。
私が水道管を凍結させて学んだ教訓